老子講義 第五十六章より

老子講義 第五十六章より
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訳
宗教(信仰)の道は
言葉として知らせるのではなく
その全人格を持って知らせるものである
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もう少し翻訳すると・・・
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宗教(信仰)の道とは、言葉として伝えるものではない。
その人が日々どのように生き、何を体現しているか──
その 全人格そのものによって示される ものである。
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と言う意味とします。
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に対して、所感としては以下です。
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よく「思考は現実化する」という表現が用いられるが、
体験的に言えば、現実を動かす力の本質は「思考」ではなく「信仰心」である。
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ここで言う信仰心とは、
単なる宗教的・観念的な“信じ込み”ではなく、
その人の存在の中心に置かれた
・生き方の軸
・揺るがぬ確信
・価値観の根幹
・世界観への深い信任
を指す。
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つまり信仰心とは、
「自分はこう生きる」「世界はこう成り立っている」と
揺るがずに選び続けている内的態度である。
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そして、この信仰心が強いほど、
内側の世界観と外側の現実の結びつきが太くなり、
結果として現実化の速度が格段に早くなる。
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信仰心を「目標設定」へと翻訳し、
それを本人の内側から引き出していく営みがコーチングである。
対して、他人が目標を外側から与えたり、代わりに語ったりすれば、
それは本人の価値軸から切り離され、依存と歪みを生み、洗脳の構造へと変質する。
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目標とは、本来 本人自身の言葉で語られて初めて、
主体と世界観が一致した「信仰心」として力を持つ。
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老子第五十六章において語られる「言葉ではなく存在で知らせる」という教えは、
まさにこの構造と通底している。
外側の言葉ではなく、
内側に定まった確信と世界観──
つまり「信仰心」が、本人の全人格に滲み出て、まわりの現実に影響を与える。
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この章の短い九文には、
信仰・存在・現実化・依存と自立の構造など、
実に多くの示唆が含まれている。
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